2012年5月20日
この世に生活する限り、不安のない人はいない。
人と人の出会いの中で、軋轢のない人間関係は存在しない。
そして、突然交通事故に合ったり、若いのにわからない病気に侵されたり、・・・・・・・・・・、”不条理な世界”に生きざるを得ないし、
どんなにこうあってほしいと願っても、叶えられない事がある。
こんな良くない状況をおもんばかり、先回りして、
考え、思い、「不安」な気持ちになる。
私も若い頃は、一時期、7~8年の間は腹痛と下痢に悩まされた。
日常の食事で、少しごちそうを食べると
必ずお腹が痛くなり、トイレに駆け込む事になる。
お腹が痛くなることが食べる前から想定できて、
食事を頭に思い描くだけで、キューと痛くなってきていた。
その頃は人との関係で、
強いストレスの中で暮さねばならなかった から
そんな風に神経質になっていたのだと思う。
改めて“森田療法”を読み直して、人の心のありかたが良く分かる。
仏教の教えにも通づる、神経質症の人が生きやすくなる方法が書かれている。
2012年5月9日
先月アメリカ人が我が家に一週間滞在した。
それも身長が198センチメートルもある大男なのだ。
外国の人が我が家に宿泊するなど、今まで考えてみたこともなく、
来日するまでの準備期間は仕事中も、それは重く気にかかり、
部屋を広く使えるように沢山の古いものを整理し捨て、掃除し、
寝具もできるだけ大きなサイズのものを何日もお日様に干した。
朝食はパンとコーヒーと聞いていたので、
サラダになる材料やハムや果物を冷蔵庫に満タン準備した。
成田に迎えに行って、我が家に到着したその夜、
3階の小さな屋根裏部屋にのぼりついた時は、
やれやれ、かろうじて身体がはいって良かった、という
みんなの思いが一致して、笑ってしまった。
翌日からは、日常より少しごちそうの朝食にうでをふるい、
毎朝6杯どりのサーバーにあふれんばかりに、2回コーヒーを落とした。
日中は私達も自分の仕事があるので、彼らだけで観光してもらい、
振り回されることもなく一週間があっという間に過ぎた。
「案ずるより産むが易し」である。
日本びいきの彼は、箸も上手に使いこなすので 聞くと、
ニューヨークとカリフォルニアのアメリカ人はみんな、
箸が使えるそうである。
そして彼の一番の好物が“天ぷらうどん”だというのである。
「それでは・・」と浅草で天ぷらうどんをごちそうして、
とても喜んでもらった。
住んでいるカリフォルニアではスーパーマーケットの中で
“天ぷらうどん”が食べられるそうである。
日本でいうところの“かけうどん”と“えびと野菜の天ぷら”が
別の器でセットになって出てくるそうだ。
2012年2月29日
東京にこんなに雪が降って・・・きょうは
仕事の予定や人との約束がなくてよかった。
朝から雪降りなのに洗濯をしたり、
切り干し大根を人参や蓮根もいれて煮たり、
時間の制約がないので、
ゆっくり家事をしているのは気持の良い物だ。
若い頃は今日しなければならない事が山のようにあって、
時間に追われていて家事が嫌いだった。
外で働いている方達には申し訳ないが、
窓から眺めている限り、
雪景色は非日常ですごくきれい!
寒い雨や雪の日、ほくほくと家ですごす。
これぞ幸せなり。
2012年1月29日
30年来の友達が、昨年11月に
“焼き菓子の店-hanna”を主婦5人でオープンさせた。
彼女から送られてきた今年の年賀状にはこんな文章で始まっていました。
2011年3月11日、仙台市内を車中で地震に遭遇した友人は、
運転者の誰もが消えた信号機を前にして、規則正しく 譲り合い、
クラクションひとつ鳴らす事もない、真空状態のような空気の中、
家路を急いだそうです。
それまではそれほど親しくなかった近所の主婦たちが、
水道やガスのライフラインが途絶えて、不自由な暮らしを助け合って暮らし、その結束力が、「夢の実現」への原動力になった と、かかれてありました。
11月までの間入念な計画準備をし、
オープンしてからは年末のお菓子の需要期でもあり、
連日売り切れで、生産が追いつかなかったと聞いていました。
そして昨日やっと、私の手元に、こんなものを売っているのよと
現物を届けてくれました。
あの震災がなかったら、踏み出す事はなかった夢が形となり、
一歩を歩き始めたところです。
2012年1月27日
昨年から裏千家のお茶のおけいこに通っています。
一般的にお茶のおけいこは敷居が高くて、長年興味はあっても
さわれないでいました。
何も今からお茶の名人になりたいのではなく、
この歳で今更ですが、「お茶から発生する文化を知りたいと思う。」
「そしてお茶を生々堂々飲めるようになりたいと思う。」
そんな私のささやかな気持を理解してくださる先生に、やっとめぐり合えたから。
こんな気持で今通っています。
しかし、初めて接するお茶の文化は、
月にたった一度の、毎回ごとに驚く事ばかりです。
お部屋のしつらえや道具の置き方ひとつひとつが
あっと驚く程美しい!!
例えば炭手前に使用する菊炭の、送られてきたダンボールを開けた時の
切り口が、息を呑むほど美しい!!
鷹の羽をセッティングした時のビジュアルの美しい事といったら。本当に!!
武蔵野の文化会館で行われた初釜は
お客様の中にフィンランド大使館の外人の方達も6、7人いらしたので、
お昼は、価格の安い500円ほどのとり寄せたお弁当でしたのに、
黒い塗りの懐石盆に移し替えて食べていただき、とても喜ばれたようです。
老人ホームの車椅子の老婦人達も、作法ぬきで楽しんで帰られ、
こんな風にお茶の文化を平たく楽しめるのが、とてもいいなと思います。
コーヒーも大好きなのですが、
こんな魅力的なお茶の世界に私は、今しばらく引き込まれそうです。
2012年1月8日
いよいよ2012年が始動しました。
私も今日からやっと2012年に進める──という実感がわいています。
昨年末より体調をくずし、生きているのか死んでいるのか
はっきりとした意欲がなくお正月も過ごし。
それでもこの一週間は昨年のうちに約束した予定をこなしているうちに、
その時々に会った人たちに元気にしてもらいました。
人は一人では生きていけないとつくづく思います。
このブログもなかなか軽々書けないでいます。
私が何よりも書くことが楽しめていないからです。
先の見える人生をできるだけ自由に楽しく過ごそう、と
決心しているのに、まわりのしがらみにとらわれる
情けない私がいます。
さて、私の持っている時間の半分は仕事をして働く。
残りの半分の半分は大事な友人達と一緒に楽しむ。
そして、私に向かって思うのは今私は何がしたいのか。
あとの残りの時間はだれにも立ち入らせないで、私のためだけに使うのだ。
こんな今年が生きられたらどんなに幸せでしょうか。
それもこれも健康があってこそ。ですね。
2011年10月13日
アメリカ、ロスアンジェルス市内にある、
今人気の「intelligentsia coffee」です。
そういえば雑誌「ブルータス」にも紹介されてましたっけ。
ほとんどの人が表の風に吹かれながらのコーヒータイムです。
表通りから入口までの小道わき、長いベンチにあぐらをかいて座っている女性、車座になって楽しげにしゃべっているグループなど。
お店に来てる人達みんなが、顔見知り?と思う程フランクに挨拶をかわしています。
暖かな空気が、コンクリート打ちっぱなしの工場のような広い店内にただよっています。
ストレートコーヒーは豆を挽いて手際よくたててくれました。4ドルですが、お変わりもついて量はタップリ。
カプチーノは丼ほどもある大カップに慣れた手つきで可愛くアレンジ。
このザックリしていて、薄っぺらでなく、暖かな空気感。
こんなに流行ってるの・・・・分かるなー
2011年7月2日
「今週の土曜日、かに食べに行かない?」と近くの女友達からメールが来て、「参加しまーす」と速攻返事した。
カニ屋さんは近所だったし、友人の誘いを断ってばかりいると
誘ってもらえなくなる。
私はかには好きだが、魚屋さんで買って美味しかったという経験もないので、普段ほとんど食べる機会がない。
女ばかりの気楽な食事は実に楽しい。
季節ではないので冷凍だと思うが、焼いたタラバなどとてもおいしく頂いた。
最後にコーヒーを注文すると置いてないという返事。
やむなくアイスクリームを皆で食べる。
おなか一杯になって、自転車での帰り道、
家人にろくろく夕御飯の支度もしてこなかったのを思い出し、
通り道にある”ミスタードーナッツ”で
何年ぶりかのドーナッツをおみやげに買ってみた。
これがすばらしく美味しくて、
家人が淹れてくれたコーヒーと実にマッチする。
夜の10時だというのに・・・二つも食べて・・
こうして、またカロリーオーバーだ。
2011年5月2日
先日母の命日だったので、お参りに姉の家に寄った。
17年間もの闘病生活だった母のはかなげな姿は、今も私の胸によく現れる。
母の長い病院生活中での日常は、何冊もの連絡帳に記されていて、
姉の家での帰り際に、姉と私が書いていた連絡帳を
「面白いから読んでごらん」と渡された。
母は脳卒中で倒れて3ヶ月間は生死をさまよっていて、
やっと安定してからも2年は、失語症でひと言も言葉を発しない日々だった。
その後は少しづつ言葉が出てきても、
単語をいくつか並べる感じで私達と会話をしていた。
以下抜粋
6月11日(土)
散歩しながら色んな話をしました。(注:車椅子で)
「まっすぐ行って」とか、「お父さんに会いたい」というので、
写真持ってきてあげると言ったら「嬉しい」とか「心を入れ替える」とか、
きょうは言葉が豊富です。7月2日(土)
〝いすよ!!〝 〝いす〝がとても多い日でした。7月4日(月)
帰り際に「帰ったらダメ!」と相当ぐずりました。
寮母さんもびっくりして「うれしいような、怖いようなこの会話」と
しばらく付き合ってくださいました。
「死ぬよっ!」とか「泣くよっ!」とか言って、
帰ろうとする私を引き止めます。7月10日(日)
自分が50歳で私が60歳とか言うので、
お母さんは72歳よと言うと、びっくりした顔をして
「そんなら もっと年寄りらしくせな あかんね」ですって。8月31日(土)
「1番は白いご飯 2番は赤いごはん 3番はあずきごはん 4番はお味噌汁 5番はちらしずし 6番はまきずし 7番は・・・」と好きな順番でしょうか。
1番から3番くらいまで何度くりかえしても順番は変らず、時々ごぼうの味噌漬けとか入って
「あんまり早うご飯炊いたら冷とうなるから・・・」と
「家で作ったちらし寿司 しいたけたくさん炊いておいしいよ・・・
鎌倉のきつねずし、須磨の一口ずし、小さいいわしを・・・・ 注文しないと・・・・」
母が少しづつしゃべれるようになった頃の、
私達姉妹が明るい気持で、笑えて、
ポッと楽しくなってた日々を思い出した。
半分ボケているけど、時々頭の中がつながって、私達と心がつながる。
あどけない表現をする母が本当に可愛かった。
2011年3月8日
白いんげんの豆を1週間ほど前に煮て、
豆の半分は甘く味付けしてこの5、6日煮豆で食べた。
残った白いんげんはゆがいたままの状態で冷凍保存しておいたのだが、
夕食時にご飯を解凍したつもりでいたら、この白いんげん豆だった。
さて、どうしよう・・・
その日の食事が済んでから、やむなく、
明日のために「チリコンカーン」を作った。
挽肉、玉ねぎ、ピーマン、人参、セロリ、
ホールトマトの缶詰め、赤とうがらし粉、カレー粉、
ケチャップ、あるものいろいろ、入れる。
私は子供の頃は好き嫌いが多くて、
出されたおかずは黙って残して(文句を言えば叱られる)、
白いご飯だけは食べる。
そんな食事に関心のない子供だった。
こんな豆や野菜のいっぱい入った煮物を
美味しいと思う今が信じられないが、
日々の粗食と(健康のために肉類油物は極力しない)、
とに角久し振りに作ったということもあって、
「チリコンカーン」がこんなに美味いとは・・・
「熱い!辛い!熱い!辛い! 暑い!」よい味だ。
大きな深皿いっぱいに食べて大満足である。